cinema_ni_artのブログ

田舎で育児に奮闘しながら趣味に生きたいフリーランス主婦。映画とアートが好きで、細々推し活できることが幸せ。

ルドンの「花」


 筆者の愛する19世紀後半~20世紀美術は、それまで光や色を植生物理学的に分析・追及してきた「印象派」と呼ばれる時代から、ジークムントフロイトが心理学という学問を提唱したことにより、無意識(内省的な世界)をアートで表現しようと試みた「象徴主義」から始まり「フォーヴィズム」「キュビスム」「シュルレアリスム」へと広がる芸術運動が特徴的である。

 筆者は臨床心理学専攻出身ということもあり、この時代の美術が特に関心がある領域なのだが、今日は「象徴主義」の代表であるオディロン・ルドンが描く「花」について書きたい。
(余談だが、大学入学時に「お金がかかる割に臨床心理士は稼ぎたい人には向かない」と教授に言われ早々に臨床心理士の道は諦めた)

 

 まずはオディロン・ルドンについて、人物は知らずとも下記のような少々気味の悪い絵を見たことがある人は多いのではないだろうか。

 ルドン作品の代名詞ともいえる眼球や人の頭が空間に浮かぶ素描はあまりにも有名である。筆者も最初に惹かれた作品はこのような素描作品であった。何かもの言いたげな、訴えかけるような瞳とその薄気味悪さ、その薄気味悪ささえ少しユーモラスに感じられる作風はとても魅力的だ。

「目=眼球」(1878)

沼の花、悲しげな人間の顔(ゴヤ賛より)(1885)

 このようなルドンの作品は、もともと病弱で暗い部屋にこもりがちだった自身の幼少期や複雑であった家庭環境(裕福な家庭であったが生後二日で養子に出され、母は兄を溺愛していたといわれている)に由来しているといわれている。

 このような幼少期に様々な想いを抱えている背景を表現し作品として昇華させる姿は鬼才といわれる映画監督ティム・バートンにも共通している(筆者に影響を与えた監督の一人)。

 ところがルドンは結婚と息子の誕生を機にパステル画など色彩豊かな表現へと変貌を遂げる。

「グラン・ブーケ」(1901)

 ルドンを代表する作品の一つであるこの「グラン・ブーケ」は筆者も大好きな作品で、しかも日本で所蔵されている(三菱一号館美術館)。

 

 ルドンは1880年カミーユと結婚。長男の誕生(生後半年ほどで亡くなってしまう)、幼少期の暗い影が残る農場の売却、次男の誕生といった人生の転機を迎えたルドンは次第に色彩豊かであたたかな「花」やパステル画の作品を数多く生み出すように。

 このような作品をみているとルドンは素晴らしい出会いをし、温かい家庭を築き彼なりに幸せな人生を送れたのかなぁと筆者自身もなんだかほっとするというか、安心する。そしてこの絵の前でほっこりすることでわたしも幸せを感じる。

 友人や家族の幸せなエピソードをきいてこっちまでうれしくなるような、そんな感じ。

 

 育児で疲れた時、ホルモンバランスが崩れていると感じた時、夫とうまくいかない時、筆者はこの絵を見てふと立ち止まる。当時のルドンに思いを馳せながら自分自身も初心を思い出す。特に家族のこと。

 別に何か問題が解決するわけでもないんだけど、そんな時間が気持ちを切り替えたり、自分をフラットにするための手段になる。
(そうやってやり過ごすことが正解か否かはわからないけど、一呼吸おくって大事なことだと思う)

 だからこそ、宗教画や風景画よりも筆者は人間のパーソナルで超内省的な部分に焦点を当てたこの時代の作品に惹かれるのかもしれない。