cinema_ni_artのブログ

田舎で育児に奮闘しながら趣味に生きたいフリーランス主婦。映画とアートが好きで、細々推し活できることが幸せ。

東宝ミュージカル版『ジョジョの奇妙な冒険』札幌公演へーこれから斬首される二人の騎士が最後に見たのは泥か、光かー


www.youtube.com

 

高校時代から15年近く応援している「松下優也」くんが、地元でいっちばん立派な舞台上で、主演を張る!というので行かないわけにはいかないと昨年から心待ちにしていた本作品。

 

ジョジョ芸人くらいしか知識がない上(=ほぼ知識0)世界観的にも理解が追い付くか不安だったが、夫に聞けば「ファントムブラッド」は分かりやすいとのこと。特に予習せず、初めましてで挑んでみた。

 

結論、めっっっっっちゃ良かった!面白かった!(只今、絶賛ネトフリでシーズン4?「黄金の風」視聴中)

思ったより少年漫画感は強くなくて、洋画を観た感覚に近い。

なんといっても舞台が19世紀のイギリスという私の癖に刺さる世界線で、今アニメ版も見ているけど、確かに他に比べファントムブラッドは設定なども比較的分かりやすくとっかかりやすい物語だった。

 

特に、ジョースター父がジョジョとディオに語った騎士の物語(二人の決定的な価値観の違いとこれからの運命を感じさせる大事な話)がとても印象的だった。

女王陛下に忠実なる二人の最強騎士。

百戦錬磨の戦いをくぐり抜けながら女王を護りつづけたが、ある時女王は捕まってしまう。

ある人はいう、「お前たちが処刑台に立つなら、その代わり女王の命は守ってやろう」

彼らは女王を守るため、自らの命を犠牲にして女王の代わりに処刑台に立つことを選択した。

ところが、処刑台に上がった彼らは、その約束が反故にされたと処刑人から知らされ、斬首された。

彼らが斬首される直前に見たものは、足元の「泥」か「光」かー。

ジョジョとディオがその物語で感じたこと(価値観)が、彼らの決定的な違いとこれからの運命を位置づける伏線になっている。

 

裕福な家庭に生まれ、恵まれた環境の中、騎士道精神をモットーに素直に真っ直ぐ生きてきた主人公ジョジョ

幼いうちに唯一の理解者である母を亡くし、酒乱で甲斐性なしの父親からの虐待環境下で何とか生きてきたディオ。

ある日を境に二人は同じ環境で一つ屋根の下暮らすことになる。

「光と陰」「太陽と月」「表と裏」「持つ者と持たざる者」である二人は、真逆のようで実は同じ何かを感じながら、決定的な違いによって永遠の因縁、のちに【数奇な運命】をたどることとなる。

 

物語もさることながら、初日公演が数日延期となり物議をかもしただけのこだわり演出や舞台セットも圧巻の見どころである。

よく海を越えて札幌まで来てくれた!!!と感激だった。感動しすぎて幕開いてナレーションも触りしか進んでいないところで既に泣けた。

アンサンブルの体を張ったパフォーマンスと歌は今までに見たどの作品よりも素晴らしかった。

DUNE-PART 2-をIMAXで観る面白さ

サボりにサボって突如、思い立ったようにブログを再開する。。

 

昨年夏から更新してなかったわけだが、実は秋の終わりから教習所に通い始めた。

冬には推し活(Wonka)、推し活(達成)、推し活神戸どうぶつ王国)、推し活(2度目のWonka)に、哀れなるものたち(とウォンカ2回ww)を映画館で鑑賞でき、夫の閑散期と相まって子どもそっちのけで趣味に生きていた。

 


www.youtube.com

 

そして先日、ついに、DUNEを、映画館で!IMAXで!鑑賞した!!!!!!!!!

PART1を映画館で観ることができなかったので、念願!!!!!!!!!!!

サンドワームの圧巻と砂漠の脅威を贅沢な環境で楽しみながら、相変わらず考える隙を与えないスピード展開で、3時間弱が一瞬で終了。

そしてなんたってティミー!砂漠でみんな薄汚くなりがちなシーンにおいて、スクリーン目いっぱいのアップでもその美しさが顕在。むしろ青い瞳が美しさをさらに引き立てる。

 

PART1では王子様ポジションで、世間知らずなおぼっちゃま感というか、護られる側という印象が強かったが、PART2では祖国と愛する家族たち(仲間)を失い、砂漠の原住民的存在「フレメン」と共に過酷な砂漠で生きる逞しい姿や、ポールとしての人生を捨て、救世主として、王としての生き方を選択した彼の決意など、ポールは苦しくも猛々しい成長を遂げていく。

その成長につれて少しずつ冷徹さを醸し出していきながらも、愛するチャニとの間で揺れ動く決意や覚悟といった時折不安も覗かせるティミーの演技に魅了された。

 

個人的にSF映画はその世界観にハマるかハマらないかで好みが分かれてしまう印象を持っていた。(その世界独特の言葉がすんなり入ってこないとか・・)

しかし、このDUNEは3部作(映画)と物語の展開も大枠決まっており、登場する部族たちやその相関図もそこまで複雑ではない(2部で新たな関係性は出てくるが)ため、SF映画をあまり見ないタイプでも入り込みやすいと思う。

また、「砂漠」が舞台のためか、「近未来的な」「未知の」というイメージと「機械的」で「レトロ」に近いようなイメージを彷彿とさせる生きものや建造物を含むセットが特徴的で、舞台美術や衣装などもとても見応えがある。

 

PART1はアマプラ見放題で履修できるので、ぜひ劇場公開が間に合ううちに観てほしい。

 

お題「おすすめの感動系映画教えてください」5選

 お盆前から子どもたちが代わる代わる体調不良になり、仕事もバタバタ、お盆シーズンだから病院もイレギュラー対応であっちこっち振り回され2時間待った揚げ句「診察できない」で終わり、まったく落ち着かずなんだかモヤッとした気持ちを残したままお盆に入った筆者です。

 コロナ渦に入ってから発熱すると診てもらえなかったり、小児だと小児科以外の受診は断られたり、田舎は規模の小さい病院が多いからなるべく事前に連絡して状況を伝えたうえで受診可能か聞いてから行っているのに、さすがに酷くないか・・・。

 そんなモヤッとした気持ちは大好きな映画について書きまくって忘れよう!(笑)

 

お題「おすすめの感動系映画教えてください」

 

 お題「おすすめの感動系映画」について書いてみる。今回は以下5本に厳選。

filmarks.com

 本作は筆者の敬愛するTim Burton監督作品である。誰もが彼らしいと思うような摩訶不思議な特色はキャラクターデザインや舞台芸術の中に存分に発揮されつつ、作品の中身は普段のバートン作品とは一味違う。(バートンが父の死を機に本作に取り掛かったという点では非常にパーソナルな作品という意味で共通しているのだけど)

 夢想家で自分の世界に閉じこもっている、周りに溶け込めない、THE・バートン的主人公が存在しない本作、むしろジャーナリストである主人公は”リアル”と”真実”に固執しているという真逆の人物像である。そんな主人公と長年の確執を抱えている父エドワードの奇想天外な半生(”ホラ”・”デタラメ”)を物語のメインとしつつ親子のアンビバレントな関係性と家族、愛について考えさせられる作品となっている。

 何十回と筆者は観たが毎回泣く。何度観ても泣けるし、自分の人生の分岐点によって観え方や感じ方も変わっていて実はバートン作品でも1,2を争う傑作。

 

filmarks.com

 本作はNETFLIX配信のたった15分の映画。

アメリカのとある学校で起きた銃乱射事件をテーマに、被害者となった少女の事件当日を描いた。いつもの時間に起きて、いつものように家を出て、いつものように学校に向かって、いつものように授業・・・だったはずがその日が自分の、あるいは大切な誰かの、人生最後の日だったらと想像してしまう。毎朝「いってらっしゃい」と言って、「おかえり」と言えることがどんなに幸せなことであるか気づかせてくれた。(貪欲なためすぐに忘れて煩悩のまま生きているが)15分とはいえおそらくもうしばらくは見返せない。それだけの影響力がある作品。

 

filmarks.com

 天才グザヴィエ・ドランの作品。彼は人間や家族の複雑性を非常に繊細に描く天才で筆者は大好きなのだが、本作は正直好みが分かれるかもしれない。

 主人公の「少年」と「若き大スター」の文通から物語は進んでいく。【若き大スターの知られざる苦悩=本当の自分を隠し続け次第に自分自身もわからなくなっていく孤独や葛藤】と【それをまっすぐに受け止めようとする少年=純真無垢】そしてそんな彼らを取り囲む【大人たち=社会】。「少年」や「若き大スター」は物語を想像しやすくするメタファーで、実は多かれ少なかれ社会の中で生きる人間であれば抱えているであろう孤独や葛藤、そして最後は人生への希望か絶望か観た人によって捉え方は違うかもしれない。そんな人間の不確定さも表現した作品で、映像や音楽の美しさも素晴らしい。鑑賞後の余韻がしばらく残るのも心地良い。

 

filmarks.com

 主人公のウジンは毎朝目覚める度に、顔も、性別も、年齢も、「見た目が全くの別人」になってしまう。それを知っているのは家族や親友だけ。家具デザイナーとして働き、人と関わらない生活を送っていた。そんな彼はある日運命の恋に落ちる・・・というお話。

 設定からすでにシュルレアリスティックで惹かれた本作。普段から、日常会話やツイッター(Xか)などのSNSでも「見た目」か「中身」か論争はよく話題としてあがるだろう。時に外見で人を判断することや容姿に対して何か言うこと自体「ルッキズム」(=差別意識)だという声も多く聞く。じゃあウジンのような現象が起こったら?人間ってファーストコンタクトから本当に「見た目」度外視で関係性を築けるものなのか?出会ったときは「若くてさわやか」な人となんだかいい雰囲気になって、翌朝目が覚めて「髭面のおじさん」だったら?中身は「若くてさわやか」だった人と同じでも、同じ印象を持てるのか。二人の選択と行く先を見守らずにはいられない。

※余談だが、筆者はジェイソン・モモアくらいの髭面が好きである。

 

filmarks.com

 感動系として紹介してもいいのかどうか迷うところはあるものの、ギャツビーの驚くまでの純真さと哀れな生き方は観ていて心をかき乱される。「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」にも通ずるところがある本作だが、豪華絢爛な映像美とJay-Zなど名だたるラッパーたちがプロデュースした音楽は、迫力と見応え満点でハリウッド映画そのもの。両作品とも人間心理をよく描いているが、本作のほうがエンタメとして見やすいかもしれない。ただその豪華絢爛さとギャツビーの生涯のコントラストがさらにその孤独と悲哀を引き出していて外から観ているはずのわたしたちも”虚像””虚無”感をかなり体感できる。映画ならではの迫力と物語の深さがマッチした傑作。

 

 以上、「おすすめの感動系映画」5選でした。

 お盆休みも後半となってしまったが、ぜひお盆明け頑張るために、充電時間として映画の世界に浸ってみてはいかがだろうか。

※「愛してるって言っておくね」は非常にセンシティブな内容のためご注意を。

 

わたしの心を乱すBruno Mars

お題「雨の日に聴きたい曲は・・・?」

 

 北国に住んでいる筆者ですが、冬はドカ雪。ひどいと国道さえ通行止めになりマジもんの陸の孤島になるようなところに住んでおりますが、ここ数年夏は30~35℃普通にあるし、今年は暑さに増して湿度が高く雨も続いている。(暑くてもカラッしてるだけマシだったのに・・・)夏も冬もとても不快。

 そのうえエアコン普及率は40%以下(昨年調べだけど)、本州の人たちから30℃超えたくらいで文句言うなよとか言われちゃうけど、埼玉に住んでいた経験もあるから言わせてもらう。そっちの冬が寒さに対応できてないように、こっちは夏の暑さに対応できる仕様になっていないのである。(エアコンは多少温風もだせるけど、こっちの備え付けはストーブだぜ。温風しかでないぜ・・・。)

 

 とまあ、そんなこんなで今年は暑い上にジメーーーーーーーッとした夏を過ごしている筆者が「雨の日に聴きたい曲」はBruno Marsの「It will Rain」。

www.youtube.com

 Bruno Marsはかれこれ13年聴き続けている超超超大好きなアーティストだが、何がすごいって、この曲自体も2011年に発売された楽曲なのだが、彼の音楽はどれも全く色あせないしダサくならない。

 「この曲懐かし~」みたいな、この曲が出た当時の気持ちとか音楽を聴いて思い出す記憶はもちろんあるものの、思い返すために聴くというより永遠にリピートできて、今なお新鮮な気持ちで聴き続けられる。

 あと「It will Rain」はカラオケで歌うと超気持ちいい!最高にストレス発散できる。

 

 さすがに「24K Magic」アルバム発売してからSilk Sonicで新しい楽曲出すまでの期間は待ってるのは長かったけどね(笑)

 

 ちなみに一番思い入れのある楽曲は「Versace on the floor」。

www.youtube.com

 曲、歌声、映画のワンシーンのような歌詞、すべてパーフェクトで筆者の癖にぶっ刺さる。昔大好きだった対訳ブロガーさんが彼のことを”ミダス王”と呼んでいて、「Versace on the floor」はBruno Marsの中でもその名の通り心を乱されまくる代表曲といっても過言じゃない。

 ほんと好き。

 

 ちなみに夫とまだお付き合いしていた頃、わたしはこの曲をずっとアラーム音にしていたので、夫はこの曲を聴くたびに「起きなきゃいけない」気持ちに条件付けされてしまい苦手らしい(笑)

ルドンの「花」


 筆者の愛する19世紀後半~20世紀美術は、それまで光や色を植生物理学的に分析・追及してきた「印象派」と呼ばれる時代から、ジークムントフロイトが心理学という学問を提唱したことにより、無意識(内省的な世界)をアートで表現しようと試みた「象徴主義」から始まり「フォーヴィズム」「キュビスム」「シュルレアリスム」へと広がる芸術運動が特徴的である。

 筆者は臨床心理学専攻出身ということもあり、この時代の美術が特に関心がある領域なのだが、今日は「象徴主義」の代表であるオディロン・ルドンが描く「花」について書きたい。
(余談だが、大学入学時に「お金がかかる割に臨床心理士は稼ぎたい人には向かない」と教授に言われ早々に臨床心理士の道は諦めた)

 

 まずはオディロン・ルドンについて、人物は知らずとも下記のような少々気味の悪い絵を見たことがある人は多いのではないだろうか。

 ルドン作品の代名詞ともいえる眼球や人の頭が空間に浮かぶ素描はあまりにも有名である。筆者も最初に惹かれた作品はこのような素描作品であった。何かもの言いたげな、訴えかけるような瞳とその薄気味悪さ、その薄気味悪ささえ少しユーモラスに感じられる作風はとても魅力的だ。

「目=眼球」(1878)

沼の花、悲しげな人間の顔(ゴヤ賛より)(1885)

 このようなルドンの作品は、もともと病弱で暗い部屋にこもりがちだった自身の幼少期や複雑であった家庭環境(裕福な家庭であったが生後二日で養子に出され、母は兄を溺愛していたといわれている)に由来しているといわれている。

 このような幼少期に様々な想いを抱えている背景を表現し作品として昇華させる姿は鬼才といわれる映画監督ティム・バートンにも共通している(筆者に影響を与えた監督の一人)。

 ところがルドンは結婚と息子の誕生を機にパステル画など色彩豊かな表現へと変貌を遂げる。

「グラン・ブーケ」(1901)

 ルドンを代表する作品の一つであるこの「グラン・ブーケ」は筆者も大好きな作品で、しかも日本で所蔵されている(三菱一号館美術館)。

 

 ルドンは1880年カミーユと結婚。長男の誕生(生後半年ほどで亡くなってしまう)、幼少期の暗い影が残る農場の売却、次男の誕生といった人生の転機を迎えたルドンは次第に色彩豊かであたたかな「花」やパステル画の作品を数多く生み出すように。

 このような作品をみているとルドンは素晴らしい出会いをし、温かい家庭を築き彼なりに幸せな人生を送れたのかなぁと筆者自身もなんだかほっとするというか、安心する。そしてこの絵の前でほっこりすることでわたしも幸せを感じる。

 友人や家族の幸せなエピソードをきいてこっちまでうれしくなるような、そんな感じ。

 

 育児で疲れた時、ホルモンバランスが崩れていると感じた時、夫とうまくいかない時、筆者はこの絵を見てふと立ち止まる。当時のルドンに思いを馳せながら自分自身も初心を思い出す。特に家族のこと。

 別に何か問題が解決するわけでもないんだけど、そんな時間が気持ちを切り替えたり、自分をフラットにするための手段になる。
(そうやってやり過ごすことが正解か否かはわからないけど、一呼吸おくって大事なことだと思う)

 だからこそ、宗教画や風景画よりも筆者は人間のパーソナルで超内省的な部分に焦点を当てたこの時代の作品に惹かれるのかもしれない。